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岩隈久志選手インタビュー

夢を持ち続けた少年

── 野球を始めたきっかけを教えてください。
岩隈 − 小さい頃にテレビで野球の中継を見て、自分も野球選手になりたいと思ったのがきっかけです。小学1年生の時に野球を始めて、その頃からずっとプロ野球選手になりたいという夢を持ち続けていました。西武球場の近くに住んでいたこともあり、大の西武ライオンズファンで、よく球場に行って応援していました。当時はライオンズの黄金時代で、渡辺久信さんや秋山幸二さん、清原和博さんが自分のヒーローでした。
── なぜピッチャーというポジションを選んだのですか?
岩隈 − とにかく投げることが好きで、バッターと対戦して抑える喜びや試合に勝つ感動を覚え、さらに上手くなりたいと思っていました。小学生の時はピッチャーの他にも色々なポジションをやっていて、プロ野球選手の真似をしてカッコつけたプレーをしていましたね(笑)。中学生になるとピッチャー中心でやるようになりました。とにかく野球が大好きで毎日、友達とボールを追いかけていました。

マウンドで投げられることへの感謝

岩隈久志選手
── プロ入りされた時はどんな気持ちでしたか?
岩隈 − 小さい頃からの夢がかなって嬉しかったのはもちろんですが、勝負の世界で生きて行く覚悟を持ちましたし、早くプロの技術を学びたいと思いました。コーチからは「最初の3年間は陸上部だぞ」と言われ、基礎体力をつけるためのハードな練習もしていました。プロで生きていくために、すごいピッチャーやバッターがたくさんいる中で、そういう選手達を超えていかなければいけませんし、もともと負けず嫌いな性格なので、常に成長したいという気持ちは持っていましたね。
── 2007年に右肘を手術されていますが、その時はどのような心境でしたか?
岩隈 − 当時はケガが続き、なかなかパフォーマンスを発揮できずに苦しんだ時期でした。ファンの期待に応えられず、成績も残せなくなり、「もう勝てないのではないか」、「このまま自分は終わってしまうのではないか」と弱気になったこともありました。しかし、次のシーズンに懸ける思いが強かったので、手術をして自分を変えようと思いました。今度、結果が出なければ、野球を辞めようという決意もありましたね。
── 手術後のシーズンでは投手3冠や沢村賞などを獲得されて大活躍されました。
岩隈 − 今までは、とにかく勝って結果を残せばいいという考え方でしたが、手術をしてからは、勝つことも大事ですが、マウンドで投げさせてもらうことに感謝するようになりました。野球は自分一人ではできませんし、ファンの応援や家族の支えがあるからこそ、自分の好きな野球をやらせてもらえるのだと感じました。マウンドでチームに貢献して、ファンや家族のために勝ちたいという思いで投げるようになりましたね。ケガで苦しんだ時期と手術を経験したことで、自分が成長でき、結果にも表れたのではないかと思います。

自分のスタイルを貫き偉業を達成

岩隈久志選手
── 2012年に海外へ移籍されましたが、なぜ海外の野球に挑戦しようと思ったのですか?
岩隈 − 2009年に行われたWBCを経験して、自分が世界でどれだけできるのか挑戦してみたいという気持ちが強くなりました。日本とは違う海外の球場が持つ独特な雰囲気にも魅了され、こういう場所で、もっとプレーしてみたいとも思いました。
── 海外への移籍後もコンスタントに結果を残して活躍されていますが、プレーしてみていかがですか?
岩隈 − 日本と海外でのパワーの違いは感じましたね。海外に行って力で勝負をしようとは思いませんでしたが、パワーで勝てないことは、すぐに分かりました。じゃあ、何で勝てるのかというと技術しかないので、日本で培った技術やメンタルで勝負しています。海外に行っても自分の投球スタイルを変えようとは思いませんでしたし、これからも自分のスタイルは貫いていきたいと思います。
── 海外で4年目となる2015年シーズンを振り返っていかがでしたか?
岩隈 − 本来ならば、1年間ローテーションを守って戦わなければいけない立場ですが、前半に脇腹を痛めて2ヶ月半ほど離脱してしまったので、悔しい思いはあります。離脱したことで考える時間が持てたので、もう一度原点に帰り、一つひとつ積み重ねていこうと思いました。そこでうまくリセットすることができ、後半は巻き返して、結果として9勝できたことは良かったと思います。
── 8月にはノーヒット・ノーランを達成しましたが、どんなお気持ちでしたか?
岩隈 − まさか自分がノーヒット・ノーランをできるとは思いませんでした。9回1アウトを取ったあたりから、ノーヒット・ノーランへの意識が高まりましたね。最後はセンターフライで、打たれた瞬間はセンター前に落ちると思いましたが、達成した瞬間は自然にガッツポーズが出ました。

自分の体を良く知り、自分の体は自分で守る

── 今まで肩や肘などのケガがあり、苦労をされたと思いますが、治療器はいつ頃から使っていますか?
岩隈 − 球団で使用していたこともあり、ケガに苦しんでいた2006年頃から超音波治療器や電気刺激装置などを使っています。僕らは体が資本なので、自分の体を良く知って、自分の体は自分で守り、しっかりと管理していかなくてはいけないと思います。
── どのような症状の時に、どういった治療器を使用していますか?
岩隈 − 筋肉の張りには、超音波を使うことが多いですね。肩の炎症部や肘の水が溜まりやすい部分には、ハイボルテージを使っています。手術後は特に肘に水が溜まりやすかったので、三頭筋の付け根あたりから確認しながらアプローチしていました。張りの痛みなのか炎症だけの引っかかる部分なのか、トレーナーに体の動きを入れてもらいながら確認して、自分のコンディションに合わせながらケアしています。症状によっては、コンビネーション治療が良かったりしますね。
東田トレーナー − シーズン後半はスライダーの投球数も増えるので、肘関節をはじめ、腕の外側の負担が大きくなってきます。舟状骨から親指背側にパッドを貼り、三角筋から前腕の外側にかけて超音波とハイボルテージのコンビネーション治療を行っています。
岩隈 − 試合が終わった後は、治療器に頼らないともう無理ですね(笑)。
── コンディショニングとして治療器を使うことはありますか?
岩隈 − 試合や練習後のケアで使用することが多いですが、登板する日のウォーミングアップ前に使うこともあります。体の張りは無くなってきたけど、もう少しほぐしておけば力が入りそうだなと感じる時に、超音波や電流で刺激を与えます。少し張り感を残しておきたいという時もあるので、日によってコンディショニングの仕方は違いますが、治療器を使うことで良い状態で試合に臨むことができますし、試合後の体の張りや疲労感の軽減にもつながります。治療器が無かったら、長いシーズンを投げられていないと思います。
岩隈久志選手

岩隈久志選手

野球を通じて未来ある子供達にできること

── 今後は子供達の育成にも力を入れていくそうですね。
岩隈 − 野球しかやってこなかった自分が、子供達に何ができるのか、何を残せるのかと考えた時に、自分が培った野球の技術やトレーニング理論、メンタリティといったものを伝えられるのではないかと思いました。ただ野球を教えるのではなく、スポーツにおける考え方や、悩んだ時にどうしたら壁を乗り越えられるのかを自分の経験に基づいて一緒になって考え、アドバイスしていきたいですね。また、ケガの予防や、ケガをした時のリカバリーについても、どうしてケガをしてしまったのか、どうしたら予防ができたのかを分析し、自分の体に向き合う大切さを知ってもらいたいと思います。治療器を使ったケアやコンディショニングなど、自分が実際にやってきて良かったことは伝えていきたいと考えています。未来ある子供達が、大きな夢を持って野球に取り組める環境を作っていきたいですね。
岩隈久志選手
── 最後に今後の目標を聞かせてください。
岩隈 − 一年一年が勝負になると思いますが、トレーニングとメンタリティ、体のケアをしっかりとやりながら、皆さんの期待に応えられるように、これからも全力で戦っていきたいと思います。
岩隈久志選手

岩隈久志 (いわくま・ひさし)
1981年4月12日生まれ。東京都出身。
小学1年生から野球を始める。堀越高校に進学し、1999年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから5位指名を受けて入団。 2004年、最多勝と最優秀投手のタイトルを獲得。 2005年より楽天イーグルスへ移籍。2008年には、沢村賞や最多勝、最優秀選手など投手関連の主要なタイトルを独占。 2009年の第2回WBCでは優秀選手賞を受賞、日本の優勝に大きく貢献した。 2012年より活躍の場を海外に移す。2015年にノーヒット・ノーランを達成。2016年に東京で、自らが培った技術やトレーニングメソッド、ケア、メンテナンスをあらゆるスポーツに応用し、子供からアスリートまで幅広い方々を指導する会員制複合型スポーツ空間の共同オーナーとして「IWA ACADEMY」を開校。

「IWA ACADEMY」について詳しくは、こちら>>>

 
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