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フェンシング選手へのインタビュー
千田健太選手、太田雄貴選手、三宅諒選手インタビュー「世界へ躍進する強いチームワーク」

「勝つ事」が自分のモチベーションだった

── 皆さんがフェンシングを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

千田 − フェンシングを始める前はサッカーや野球、陸上などをやっていましたが、地元である宮城県気仙沼市ではフェンシングがとても盛んなスポーツで、父親の指導のもと中学1年生の時に始めました。

太田 − もともと父親がフェンシングをやっていて、小学校3年生の時に勧められて始めました。

三宅 − 親に水泳を習わされていましたが、自分にはセンスがないと思っていました。スイミングスクールと同じ場所にフェンシングクラブがあったので興味を持ったのがきっかけです。

── フェンシングの魅力について教えてください。

千田 − 相手との駆け引きの中で動きを見て先を読み、相手の裏をつく事がフェンシングの魅力だと思います。

太田 − フェンシングの魅力に気付く前に、勝つことが自分のモチベーションでした。フェンシングを始めてすぐに大会で勝てるようになったので自分に向いていると思いましたし、フェンシングで世界を目指すんだと小さい頃からイメージしていました。

三宅 − フェンシングには決まった構えが無く、10人いれば10通りの構え方や戦い方があるので個性が強く出る競技です。自分を表現できるという部分が合っていましたし、そこがフェンシングの魅力であり、好きな理由でもあります。


同じ時間を共有することで生まれる強いチームワーク

フェンシング選手へのインタビュー

── 皆さんはフルーレ団体として、ロンドンオリンピックで銀メダル、アジア大会で金メダルと素晴らしい成績を残されていますが、チームワークの秘訣があれば教えてください。

千田 − 団体戦で良い成績が収められたのは、チームとして良くまとまっていたことが大きな要因だと思います。厳しい練習を共にすることでチームの団結心が高まりますし、そういった練習を経て試合に勝ち、自信をつけていったことがロンドンオリンピックの銀メダルやアジア大会の金メダルにつながったと思います。

太田 − 僕たちは代表の期間だけ集まって練習するわけではなく、1年を通じてみんなで練習して同じ時間を過ごしています。そういった環境の中で選手同士のコミュニケーションが深まり、チームに一体感が生まれ、オリンピックやアジア大会で結果が出せたのではないかと思います。

三宅 − みんなと同じ場所で練習ができ、普段から食事も一緒に摂るようにしているので、気持ちのベクトルがひとつになっているのを感じます。チームの中では役割分担がはっきりしていて、上の世代が若い選手をうまく引っ張ってくれるので、そういった部分がチームワークの秘訣だと思います。

── お互いについてどのようなイメージを持っていますか?

千田 − (太田選手について)長い間、日本代表チームのキャプテンをやっているので、同い年としてすごく頼りになります。エースとしてもポイントゲッターで団体戦を引っ張ってくれるので仲間として心強い存在です。
(三宅選手について)フェンシングのスタイルが独特で、キャラクターとしてもすごく面白いので、日本代表チームの中でもユニークな存在です。後輩ですが、学ぶべきところも多いですね。

太田 − (千田選手について)同い年で小さい頃から一緒にやってきた数少ない仲間であり、ライバルでもある貴重な存在です。また一緒にリオデジャネイロオリンピックでもう一花咲かせたいなと思っています。
(三宅選手について)類い稀なる才能を持っていて、年下だけど年齢関係なくすごいなと思います。これからの日本代表チームを中心になって引っ張っていくのは彼だと思っているので、うまく世代を繋いでいってもらいたいと思います。

フェンシング選手へのインタビュー

三宅 − (千田選手について)初めて会った時はクールなイメージがあって、少し緊張しましたが、だんだんと打ち解けてくるにつれて面白い事も言ってくれるので、今ではとても親しみやすい先輩です。
(太田選手について)試合の時はすごく安心感があり、頼れるキャプテンだと思います。普段から積極的にリーダーシップを取って、食事やイベントなども企画してくれる楽しい先輩です。


毎日をベストな状態でいることが大切

── 普段はどのようなトレーニングをされているのですか?

千田 − フリーウエイトを使ったウエイトトレーニングと、ランニングなどの瞬発系のトレーニングをうまく取り入れながら鍛えています。

太田 − 僕はフェンシングの練習と同じくらいの時間をトレーニングに費やしています。フェンシングでは心拍数が上がりきらないので、ランニングなどのトレーニングで心拍数を上げる練習をして体をしっかり作ることで、比較的楽な状態でフェンシングをする事ができます。そういった点からもフィジカルトレーニングはすごく大事にしています。

三宅 − フェンシングの試合は3分間を3セットで行いますが、休憩の間にいかに回復できるかというのが重要になってくるので、インターバルトレーニングを行っています。走って心拍数を上げ、そこからどれだけ回復できるかというところに重点をおいてトレーニングしています。

練習風景

── 日頃からコンディショニングで気を付けている事はありますか?

千田 − ケガとは無縁の競技生活でしたが、北京オリンピックが終わった後にケガの影響で調子を落としてしまいました。そこからケガとの付き合いが続いたこともあり、練習が終わった後は、超音波治療器や電気刺激装置を使ってこまめにケアをするようにしています。

太田 − 翌日の練習にできるだけフレッシュな状態で入れるように、その日の練習が終わるとアイシングや小型微弱電流治療器などでケアをしています。毎日の練習に元気に臨むことが何よりも大切ですし、体がついてこないとモチベーションも上がらないので、日頃からコンディショニングには気を使うようにしています。

三宅 − 競技後は治療器でのケアやアイシング、ストレッチなどを行ってクールダウンさせることがとても大事だと思います。競技中は負荷がかかりすぎないように無理なく体を使うことを意識しています。

── 具体的にはどのような時に治療器を活用していますか?

千田 − ケガの治療によく使っています。足首の捻挫がかなり多かったので、腫れた時やむくんだ時は、超音波治療器を使っています。硬くなっている筋肉を動かしたい時は電気刺激装置を使ってほぐすようにしています。

太田 − 指を骨折した時や、肘に痛みがあるときに使ったりしています。遠征の時など飛行機に乗るとどうしてもむくんでしまうので、その対策としても使っていてすごく重宝しています。

三宅 − 基本的にケガは少ない方ですが、少し痛みがあったり、炎症かなと思ったときは予防対策として超音波治療器を使っています。一度、遠征先で捻挫をしてしまい、帰りの飛行機で小型微弱電流治療器を持ち込んで使用しましたが、症状が悪化することなく帰ってくることができました。

フェンシング選手へのインタビュー

── 治療器を使い始めてどのような効果を実感されますか?

千田 − 治療器は1回だけでなく毎日積み重ねてケアすることで、ケガが治りやすくなったり、症状が治まるようになるのをすごく実感しています。僕はケガが多いので、治療器はありがたく使わせてもらっています。

太田 − 足首を捻った時や指が腫れた時に使いますが、腫れを引かす効果は目に見えて分かります。ロンドンオリンピック前は指のケガがとても多かったので、その時は特に助けられました。

三宅 − ケガをしてしまった時に治療器でケアすることで、治りが早くなるのを実感していますし、ケガを長引かせないので言葉は悪いかもしれませんが、治療器には本当に感心しています。


リオデジャネイロオリンピックにかける思いと次の世代へと受け継がれる魂

フェンシング選手へのインタビュー

── 今後の目標について聞かせてください。

千田 − フェンシングの試合は年間を通してずっと行われるので、常に調子をキープすることはとても難しいことなのですが、リオデジャネイロオリンピックにピークを持っていけるように調整して、ベストな状態で迎えられるようにしたいと思っています。

太田 − リオデジャネイロオリンピックでの日本代表チームの活躍は絶対に必要だと思っています。それにはまずワールドカップで出場権を得る事。そのために僕自身がまだまだ強くなっていかなくちゃいけないと思っています。これからはフィジカル的にも負荷をかけていくことになると思うので、ケガをするリスクも高くなりますし、その時の早いリカバリーがすごく求められます。

三宅 − リオデジャネイロオリンピックに出場するために、ワールドカップでしっかりメダルを取り、出場権を得ることがすごく大事になってくると思います。そして、自分がメダルの獲得に貢献できるような選手になりたいと思っています。

── 太田選手は、2020年の東京オリンピックの招致活動でも大活躍されていましたが、皆さんの東京オリンピックに向けての目標があれば聞かせてください。

千田 − 2020年まで現役としてやり続けていくのは、なかなか難しいことだと思いますが、日頃のトレーニングやケアはしっかりと継続していきたいと思っています。

太田 − 招致活動に携わった身として、2020年の東京オリンピックの成功を心から願っています。僕がその時にピストの上に立っているのかはまだ分かりませんが、オリンピックには選手としてだけではなく色々なかたちで携われると思うので、これからの世代がオリンピックを目指して行けるような活動もしていきたいと思っています。

三宅 − まだ先の事ですが、これからの世代とも一緒に2020年の東京オリンピックを目指していけるように頑張っていきたいと思います。


フェンシング男子フルーレ日本代表チーム

フェンシング選手へのインタビュー

千田健太(ちだ・けんた)

1985年8月2日生まれ。宮城県出身。
元フェンシング選手の父親の指導のもと中学校1年生でフェンシングを始める。宮城県気仙沼高等学校では主将を努め、中央大学に進学して国際試合での実績を積み重ねる。2006年、フェンシングワールドカップシリーズ東京大会で3位入賞。2008年には北京オリンピックに出場。2009年からNEXUS株式会社のフェンシングチームに所属し、2012年のロンドンオリンピックにおいてフルーレ団体として銀メダルを獲得。同年、気仙沼市市民栄誉賞を受賞。2014年、仁川で行われたアジア競技大会では団体で金メダルを獲得。

太田雄貴(おおた・ゆうき)

1985年11月25日生まれ。滋賀県出身。
父親の影響で小学校3年生からフェンシングを始め、小、中学校で全国大会を制覇。高校時代は史上初のインターハイ3連覇を達成し、2年生の時には全日本選手権大会で最年少優勝を果たす。2004年にはアテネオリンピックに出場し、2006年のアジア競技大会ではフルーレ個人で優勝。2008年北京オリンピックでは、日本フェンシング史上初となる銀メダルを獲得。同年、森永製菓株式会社に入社。2012年ロンドンオリンピックでフルーレ団体として銀メダルを獲得。同年、フェンシング普及のため「SUPER FENCING」を立ち上げる。2014年、仁川でのアジア競技大会で団体として金メダルを獲得。

三宅諒(みやけ・りょう)

1990年12月24日生まれ。千葉県出身。
小学校1年生でフェンシングを始め、6年生の時に全国大会で優勝する。2007年、17歳以下の世界ジュニア・カデ選手権で優勝し、日本人初の世界選手権覇者となる。翌年にはインターハイ、国民体育大会で優勝。2009年に慶応義塾大学に進学し、2010年よりナショナルチームの一員として世界を転戦。2012年ロンドンオリンピックに出場しフルーレ団体として銀メダルを獲得。2014年セイコーホールディングス株式会社に入社。同年、仁川で行われたアジア競技大会で団体として金メダルを獲得。

 
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